2025年9月、ブラジルのジャイル・ボルソナロ前大統領に対し、クーデター未遂の罪で禁錮27年3カ月という極めて重い判決が下されました。多くの人はこの衝撃的なニュースのヘッドラインに目を奪われがちですが、問題の本質は一人の元指導者の罪だけに留まるのでしょうか。
この記事では、その背後に隠されたブラジル社会の構造的な問題や、60年以上にわたる軍と政治の歪な関係という歴史的文脈を読み解きます。元新聞記者としての視点から、この出来事が我々が生きる現代の民主主義に何を問いかけているのかを深く考察していきます。
史上初の「元大統領クーデター有罪」が意味するもの
今回の判決は、単に一人の政治家のキャリアが終わったという話ではありません。ブラジルという国家の根幹を揺るがした事件に対する、司法の歴史的な審判と見るべきでしょう。
2025年9月、ボルソナロに禁錮27年3カ月の判決
ブラジル最高裁、ボルソナロ前大統領に禁錮27年3月 https://t.co/5V9pmkVoQA https://t.co/5V9pmkVoQA
— ロイター (@ReutersJapan) September 11, 2025
まず事実として、2025年9月11日、ブラジル最高裁判所は前大統領ボルソナロ氏に対し、5つの罪状で禁錮27年3カ月の有罪判決を言い渡しました。判事5人のうち4人が有罪を支持し、元国防相を含む側近7人も実刑が確定しました。デモラエス判事は、ボルソナロ氏を「政権転覆を企てたことに疑いの余地はない」首謀者だと断じています。
しかし、一度立ち止まって考えてみましょう。この判決は、法の正義が示されたと単純に喜べるものなのでしょうか。むしろ、民主的な選挙で選ばれた指導者が、その選挙結果を覆すために暴力的な手段に訴えようとしたという事実の重さを直視する必要があります。これは、ブラジル民主主義が内包する脆弱性が、最も危険な形で露呈した瞬間だったのです。
ブラジル史上初の大統領経験者クーデター有罪判決
ブラジルの歴史上、大統領経験者がクーデターを企てた罪で有罪となるのは、これが初めての事例です。ボルソナロ氏は既に公職追放の判決も受けており、政治生命は完全に絶たれたと言っていいでしょう。
元新聞記者としての経験から言えば、こうした「史上初」の出来事は、社会の大きな転換点か、あるいは深刻な病巣の現れであることが多いものです。今回の判決は、ボルソナロ氏個人の影響力を封じ込める効果はあったかもしれません。しかし、彼を大統領にまで押し上げた国民の不満や社会の分断という土壌そのものが消え去ったわけではないのです。
実は60年前から続く?ブラジルのクーデター体質の根深さ
なぜ、現代のブラジルでこれほど大規模なクーデター計画が現実味を帯びてしまったのでしょうか。その答えを探るには、時計の針を60年以上戻す必要があります。
1964年軍事クーデターから21年間の軍政時代
1964年、ブラジルでは軍事クーデターが発生し、その後1985年まで続く21年間の軍事政権時代に突入しました。この時代は「ブラジルの奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた一方で、言論の自由は弾圧され、反政府活動家への拷問も横行しました。重要なのは、このクーデターがアメリカの支援を受けていたという事実です。冷戦構造の中、南米の左傾化を恐れたアメリカの思惑が、ブラジルの運命を大きく左右したのです。
この21年間という長い軍政は、ブラジル社会に軍の存在を政治の舞台における「当たり前のプレイヤー」として深く根付かせてしまいました。これは単なる過去の歴史ではなく、現代にまで続く根深い「体質」の原点と言えるでしょう。
民主化後も残る軍部の政治的影響力
1985年に民政移管が実現した後も、軍部の影響力は決してなくなりませんでした。世論調査では、国民の軍隊への信頼が、大統領府や議会、司法といった他の国家機関を上回るという状況が続いています。これは民主主義にとって極めて不健康な状態です。
そして、元軍人のボルソナロ氏が大統領に就任すると、6000人以上の軍人を政府の要職に任命し、軍の政治介入を再び加速させました。国民の政治不信を受け皿に、軍という「秩序の象徴」を前面に押し出す。これは、民主主義のプロセスを軽視する危険なポピュリズムの手法そのものです。
「緑と黄色の短剣作戦」の全貌—暗殺計画の詳細
今回のクーデター計画が特に衝撃的なのは、白昼堂々と行われた議会襲撃だけでなく、水面下で恐ろしい暗殺計画が進められていたという事実です。
ルラ大統領暗殺計画の具体的内容
連邦警察の捜査で明らかになったのは、「緑と黄色の短剣」と名付けられた暗殺計画の存在です。ターゲットはルラ大統領、アルキミン副大統領、そしてボルソナロ氏を追及してきたモラエス最高裁判事の3名。射殺または毒殺という具体的な方法まで計画されていました。
国旗の色を冠した作戦名からは、自分たちの行為を「愛国的」なものと正当化しようとする歪んだ心理が透けて見えます。これは、政治的対立がもはや言論の域を超え、敵対する相手の物理的な排除へと向かう、民主主義の末期症状とも言える現象です。
軍人・警察官による組織的犯行の実態
さらに深刻なのは、この計画が一部の過激派の暴走ではなく、軍人や警察官を含む組織的な犯行だったという点です。2024年11月には軍人4人と警察官1人が逮捕されており、国家の治安を維持すべき人々が、国家転覆計画に加担していたのです。
治安機関が特定の政治思想に染まり、時の政権に忠誠を誓うのではなく、特定の政治家に忠誠を誓うようになる。これは、国家の「文民統制(シビリアン・コントロール)」が崩壊している何よりの証拠です。一度崩れた信頼を再構築するのは、極めて困難な道のりとなるでしょう。
トランプが「魔女狩り」と猛批判—なぜアメリカが介入するのか
このブラジルの国内問題は、国境を越え、アメリカを巻き込んだ国際的な対立へと発展しています。特に、ドナルド・トランプ前大統領の反応は注目に値します。
50%関税という異例の経済制裁
トランプ氏は、ボルソナロ氏への判決を「魔女狩り」と断じ、ブラジル製品に対して50%という異例の高関税を課す大統領令に署名しました。これは、司法判断という一国の内政に対し、経済制裁という形で露骨に介入するものであり、外交の常識を大きく逸脱しています。
この行動の背景には、単なる個人的な友情以上の、根深いイデオロギー的な繋がりが存在します。それは、国境を越えて連携する新しい政治勢力の姿です。
ボルソナロ・トランプの「右翼ポピュリスト連合」
「ブラジルのトランプ」と呼ばれたボルソナロ氏とトランプ氏は、その政治手法や言動に多くの共通点が見られます。両者とも選挙での敗北を認めず、司法やメディアを攻撃し、支持者を扇動するスタイルを取ってきました。2021年の米国議会襲撃事件と2023年のブラジル三権広場襲撃事件の類似性は、偶然の一致ではありません。
彼らの連携は、自国の利益を最優先する「ナショナリズム」を掲げながら、実際には国境を越えて互いを擁護し合う「ポピュリストの国際ネットワーク」を形成しているという皮肉な現実を示しています。この新しい政治の潮流は、世界の民主主義にとって新たな脅威となりつつあります。
モラエス判事vs三権分立—司法の独立が問われる構図
最後に、この一連の事件で忘れてはならないのが、ボルソナロ氏を裁いた司法側の問題です。クーデターという脅威から民主主義を守った英雄と見なされる一方で、その手法には多くの批判も寄せられています。
最高裁による前例のない司法判断
中心的な役割を果たしたアレッシャンドレ・デ・モラエス判事は、フェイクニュースの拡散などを理由にSNSのアカウントを停止させるなど、極めて強力な権限を行使してきました。特に、最高裁が自らに対する「犯罪的攻撃」を独自に捜査できるという2020年の判断は、司法が捜査権と訴追権、そして判決権まで手中に収めることになりかねず、三権分立の原則を揺るがすものだと批判されています。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙が「モラエス判事の行いこそが『クーデター』だ」と評したように、民主主義を守るための正義が、時として司法の暴走という別の危険を生み出してしまう。これは、現代社会が抱える深刻なジレンマです。
ブラジル民主主義制度の特徴と脆弱性
ブラジルは1988年憲法で三権分立を定めていますが、政治家への不信から、国民の信頼が軍や司法といった非民主的な権力に傾きやすいという構造的な脆弱性を抱えています。最高裁の審理がテレビ中継されるなど、司法の透明性を高める工夫はありますが、それがかえって判事のポピュリズム化を招く危険性も指摘されています。
行政と立法の機能不全が、司法の過剰な介入を招き、その司法の強権的な手法が、さらなる政治不信を生む。この悪循環こそが、前大統領ボルソナロのような人物を生み出し、クーデター未遂という最悪の事態を招いた根本的な原因なのかもしれません。
よくある質問と回答
Q. なぜブラジルでは、民主化後もこれほど軍の影響力が強いのですか?
A. 21年間に及ぶ軍事政権の歴史が、軍を政治的な存在として社会に定着させてしまったことが最大の理由です。また、民主化後の政権が汚職などで国民の信頼を失った結果、相対的に「規律ある組織」として軍への信頼が高まるという状況が続いており、ボルソナロ政権はそれを巧みに利用しました。
Q. この事件は、アメリカの政治と具体的にどう関係しているのでしょうか?
A. ボルソナロ氏とトランプ氏は、選挙結果を否定し、司法を攻撃し、支持者を扇動するという共通の政治手法を持っています。両者の連携は、単なる個人的な関係を超え、国境を越えた「右翼ポピュリズム」という世界的潮流の一環と見なせます。ブラジルの出来事は、アメリカで起こりうることの映し鏡でもあるのです。
Q. ボルソナロ前大統領が有罪になったことで、ブラジルの民主主義は守られたと言えますか?
A. 短期的には、クーデターの首謀者が法によって裁かれたことで、民主主義の危機は一旦回避されたと言えるかもしれません。しかし、長期的には課題が残ります。クーデターを裁いた司法の強権的な手法が三権分立を揺るがす新たな火種になる可能性や、ボルソナロ氏を支持した国民の不満や社会の分断が解消されたわけではないからです。根本的な問題は解決されていません。
まとめと今後の展望
本稿で論じてきたように、前大統領ボルソナロによるブラジルのクーデター未遂事件は、単なる個人の犯罪ではなく、この国の歴史と社会構造に根差した、極めて根深い問題の現れです。軍部の政治的影響力、国境を越えるポピュリズムの連鎖、そして正義の名の下で行われる司法の暴走というリスク。これらは、決して対岸の火事ではありません。
重要なのは、この衝撃的な事件から何を学び、我々の社会が同じ過ちを繰り返さないためにどうすべきかを考えることです。この問いを、読者の皆さんと共に考え続けるきっかけになれば幸いです。
参考文献
- Yahoo!ニュース:ブラジル前大統領に禁錮27年 クーデター計画を主導 最高裁 (出典)
- First Online:ボルソナロ大統領、最高裁でクーデター計画の有罪判決、懲役27年 (出典)
- BBC News:ブラジルで前大統領派が大統領府や議会、最高裁を襲撃 (出典)
- Reuters:ブラジルのルラ大統領暗殺計画で5人逮捕、前政権高官ら軍関係者 (出典)
- Wedge:ブラジル新政権最大の課題である軍部の制御 (出典)
- Mega Brasil:軍政開始から50年(1) 伯国の歴史を変えた2日間 (出典)
- 読売新聞:ブラジル・ボルソナロ前大統領に禁錮27年3か月、最高裁が判決 (出典)


