【岡田太郎wiki】吉永小百合の夫はテレビ界の名ディレクター!共同テレビ会長まで歩んだ94年の人生

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吉永小百合さんの夫で元共同テレビジョン会長の岡田太郎さんが2024年9月3日、94歳で亡くなりました。

岡田さんは吉永さんと半世紀以上連れ添った伴侶であると同時に、テレビ黎明期から活躍した名ディレクターでもありました。

「アップの太郎」と呼ばれた名ディレクター

岡田太郎さんは、テレビ黎明期から活躍した名ディレクターでした。

岡田太郎さんのプロフィール

岡田太郎(おかだ たろう)さんは、1930年7月20日に東京都で生まれました。

2024年9月3日に94歳で亡くなるまで、テレビディレクター、プロデューサー、そして元共同テレビジョン会長として輝かしい経歴を築きました。

主な経歴

岡田さんの華々しい経歴は以下の通りです。

  • 総理府、文化放送を経て1958年にフジテレビ入社
  • フジテレビ芸能部で「陽のあたる坂道」「日日の背信」などを制作
  • 1968年 フジテレビ編成部へ異動
  • 1973年 吉永小百合と結婚
  • 1985年 共同テレビ取締役就任
  • 1995年 共同テレビ社長就任
  • 1999年 共同テレビ会長就任
  • 2003年 共同テレビ退任

主な功績

岡田さんの主な功績は以下の通りです。

  • 「アップの太郎」の異名を取る、女優を美しく撮影する技術
  • 「日日の背信」などの昼のメロドラマや「時代劇スペシャル」などを手掛ける
  • テレビ黎明期からドラマ制作に尽力し、数々の名作を生み出す

岡田さんは1958年にフジテレビに入社し、ディレクターとして活躍しました。特に女優を美しく撮影する手腕に定評があり、「アップの太郎」と呼ばれました。

「日日の背信」などの昼のメロドラマや「時代劇スペシャル」などを手掛け、テレビドラマ黎明期の名作を多数生み出しました。

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吉永小百合さんとの出会いと結婚

岡田さんと吉永さんの出会いは1963年、吉永さん主演の映画『愛と死をみつめて』のドキュメンタリー制作現場でした。当時19歳だった吉永さんのヨーロッパ旅行に約1カ月同行したことがきっかけとなりました。

その後、1969年に吉永さんが俳優の渡哲也さんと破局。仕事のストレスで声が出なくなった吉永さんを岡田さんが支えたことで、2人の関係は深まっていきました。

1973年、28歳だった吉永さんと43歳の岡田さんが結婚。15歳の年の差と岡田さんの離婚歴、そして吉永さんの両親の猛反対など、世間を驚かせる結婚でした。

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子供を持たずに歩んだ50年の夫婦生活

吉永さんと岡田さんの間に子供はいません。吉永さんは過去のインタビューで「母親になる自信がなくて…」と語っており、キャリアと育児の両立に対する懸念があったことがうかがえます。

また、吉永さんは自身の両親との複雑な関係も影響していると明かしています。「両親と関係がよくないので、自分もその血を引いていると思うと、子供は作らないことにした」と語っていました。

子供はいませんでしたが、2人は50年以上連れ添い、仲睦まじい夫婦生活を送りました。晩年の岡田さんはワイン好きで、吉永さんのために朝食を作ることも多かったそうです。

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最期まで寄り添った2人

岡田さんは2023年12月に胆のうがんと診断され、化学療法を受けていました。吉永さんは仕事の合間を縫って看病に励み、最期の時も病院で看取ることができたといいます。

吉永さんは岡田さんの死去について「大往生だと思います」とコメント。94年の人生を全うした夫への感謝の気持ちを表しました。

岡田太郎さんは、テレビ黎明期から活躍した名ディレクターとして、そして吉永小百合さんの最愛の伴侶として、94年の人生を歩みました。その足跡は、日本のテレビ界と芸能界に大きな影響を与え続けることでしょう。

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