理由もなく、なぜか心惹かれてしまう言葉や物語はありませんか。
こんにちは。人の心の動きを静かに見つめるのが好きな、ライターの水野恵理です。今、多くの人が「たつき諒」という方の言葉に、不思議な引力を感じているのかもしれません。
彼女は一体、何者なのでしょうか。そして、なぜ私たちは、その言葉に耳を傾けてしまうのでしょう。今日は、騒動の中心にいるその人物と、彼女が紡いだ物語の背景を、一緒にそっと紐解いていきたいと思います。
予言者・たつき諒氏の経歴と不思議な「予知夢」体験
社会を揺るがすほどの予言を描いたのは、一体どのような方なのでしょうか。公表されている情報を基に、その人物像と、物語が生まれた背景に少しだけ触れてみたいと思います。
漫画家としての活動と「夢日記」

たつき諒氏は、もともと少女漫画などを描かれていた漫画家です。そして、彼女の創作の源泉には、長年つけ続けていたという「夢日記」があったと言われています。
私たちも時々、妙にリアルな夢を見ることがありますよね。彼女にとって、夢で見た光景を記録することは、日々の出来事を綴るのと同じように、ごく自然な営みだったのかもしれません。予言というよりも、彼女の半生を映し出すパーソナルな記録。そんなふうに考えると、少し見え方が変わってくる気がします。
なぜ22年の時を経て復刊したのか?
この漫画『私が見た未来』が最初に出版されたのは1999年。一度は絶版となり、静かに眠っていました。しかし、22年という長い時を経て、ある出来事をきっかけに、再び私たちの前に姿を現します。
それは、本の表紙に描かれていた「大災害は2011年3月」という言葉が、東日本大震災を言い当てているとSNSで話題になったからでした。まるで、時代のほうが彼女の言葉に追いついてきたかのようです。この復刊を機に、累計発行部数は100万部を超えるベストセラーとなりました。
話題の書『私が見た未来』に描かれた予言リスト
それでは、彼女が見たという「未来」とは、一体どのような光景だったのでしょうか。著作権に配慮しつつ、公に報じられている範囲で、特に話題となっている予言の内容を静かに見ていきたいと思います。
東日本大震災を「的中させた」とされる表紙
この物語が再び注目されるきっかけとなった、1999年版の表紙。そこには、漫画のタイトルと共に「大災害は2011年3月」という言葉がはっきりと記されていました。
出版当時は誰も気に留めなかった言葉が、十数年の時を経て、重い意味を持つ。後から意味を与えられる言葉というのは、時に人の心を強く揺さぶる物語の力を持つのだと、改めて感じさせられます。
【完全版で追加】2025年7月5日の大津波
そして、現在、多くの人々を騒がせているのが、2021年に見たという新たな予知夢を基に追加された「2025年7月5日の大津波」の予言です。
日本とフィリピンの間の海底が突如として破裂し、東日本大震災の3倍もの津波が押し寄せる、というその内容は、あまりにも衝撃的です。この数行の記述が、今や国境を越え、多くの人々の心をざわつかせています。
その他に描かれている小さな予言たち
実はこの本には、こうした大きな災害の予言だけでなく、もっと身近で小さな予言も描かれていると言われています。
日常のふとした出来事や、誰かの身に起こる小さな変化。もしかすると、たつき諒氏が見ていた夢は、世界の終わりを告げるような壮大なものばかりではなく、私たちの毎日に寄り添うような、ささやかな光景も多かったのかもしれません。
予言は当たる?外れる?作品との正しい向き合い方
当たるのか、外れるのか。私たちはつい、その二択で物事を判断したくなります。けれど、この物語との向き合い方は、もしかしたら一つではないのかもしれません。
オカルトとエンタメの境界線
この作品は、「オカルト」という一言で片付けられてしまうこともあります。けれど、不思議な物語に心を躍らせる「エンターテイメント」として、純粋に楽しむという見方もできそうです。
信じるか、信じないか。その判断を一旦保留にして、一人の人物が紡いだ不思議な人生の物語としてページをめくってみる。そうすると、恐怖や不安とはまた違った、新しい発見があるかもしれません。
作品が本当に問いかける「未来への備え」とは何か
この物語が私たちに本当に問いかけているのは、未来を当てることの是非ではなく、「未来への備えとは何か」ということなのかもしれません。
それは、防災グッズを用意するといった物理的な備えだけを指すのではないでしょう。これから起こるかもしれない出来事に対して、私たちはどんな気持ちで向き合うのか。そのための「心の備え」が、今、問われているのだと感じます。
答えはすぐに出ないかもしれません。それでも、この物語が私たちの心に投げかけた小さな波紋を、これからも大切に見つめ続けていきたいですね。