なぜ彼はモンスターに?白石隆浩の生い立ちと家族、心の闇を徹底解剖

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こんにちは、水野恵理です。先日、日本中を震撼させた座間9人殺害事件の白石隆浩死刑囚に、死刑が執行されたという報せがありました。このニュースに触れたとき、多くの人が言葉にできない複雑な感情を抱いたのではないでしょうか。

もちろん、彼の犯した罪は決して許されるものではありません。ただ、人の心の動きやその背景に目を向ける者として、考えてしまうのです。「なぜ、一人の人間が、これほどまでに道を踏み外してしまったのだろう」と。今回は、彼を一方的に断罪するのではなく、その心の闇がどのように形作られていったのか、生い立ちや家族関係の記録をたどりながら、静かに考えていきたいと思います。

「おとなしい子」は仮の姿?白石隆浩の意外すぎる学生時代

報道される「凶悪犯」のイメージと、彼の過去の姿には、少し距離があるようです。彼の人間性がどのように形成されていったのか、まずは学生時代から見ていきましょう。

父親と母親、妹はどんな人?複雑な家庭環境が明らかに

白石死刑囚は、自動車部品の設計技師である父親、専業主婦の母親、そして3〜4歳年下の妹との4人家族で育ちました。幼い頃は妹の面倒をよくみる優しい兄で、母親はPTA役員を務めるなど、一見するとごく普通の家庭だったようです。しかし、彼が高校生の頃、母親と優秀だった妹が家を出て、家族のかたちは変わってしまいました。

ここで注目したいのは、法廷で母親が「甘やかしすぎたかもしれない」と供述し、その言葉を聞いた彼が動揺を見せたという事実です。優秀な妹と自分を比べ、家庭内でどこか居心地の悪さを感じていたのかもしれません。母親への特別な感情…それは、甘えや愛情だったのか、それとも自分を置いていったことへの複雑な思いだったのか。彼の心の深い部分に、家族との関係が影を落としていたことは間違いないでしょうね。

卒業文集から見える「将来の夢」がヤバかった…

「おとなしい子」。それが、小中学校時代の白石死刑囚を知る人たちの共通した印象でした。しかしその内側では、静かに心が揺れ動いていたのかもしれません。高校時代には、「自殺を考えたことがある」と周囲に漏らし、実際に3度も家出を繰り返しています。

「もうどうでもいいや」「生きていても仕方がない」

母親の供述によれば、彼はそう言って家を飛び出したそうです。この言葉は、後の犯行を考えると、あまりに重く響きます。この頃の彼は、他者の命を奪う側ではなく、むしろ自らの命を絶つことに心が向いていた側の人だったのかもしれません。この不安定さこそが、彼の人生の最初の分岐点だったように思えてなりません。

転落の始まりは風俗スカウト…20代の白石隆浩に何があった?

高校を卒業し、社会に出た彼は、きらびやかさと危うさが混在する街で、その後の人生を大きく変える仕事に就きます。彼の心は、そこでどのように変化していったのでしょうか。

歌舞伎町で名を馳せた?スカウトマン時代の評判

20代の彼は、東京・歌舞伎町などで女性向け風俗店のスカウトマンとして活動していました。評判は「温厚で優しい」「女の子に寄り添う話術があった」というものから、「仕事ぶりはいい加減」というものまで、賛否両論だったようです。中には、恋愛感情を巧みに利用して女性を操る「色管理」という手法で生計を立てていた、という証言もあります。

人の心に寄り添う「ふり」をして、巧みに信頼させ、自分の利益のために利用する。このスカウト時代の手法は、後のSNSでの犯行手口とどこか重なって見えませんか。他者の心を、自分の目的を達成するための「道具」と見なす感覚が、この時期に形作られていったのかもしれない、という見方もできそうです。

事件前に逮捕歴も!見過ごされた危険なサイン

そして2017年2月、彼はついに法を犯します。売春の斡旋に関わったとして、職業安定法違反の容疑で逮捕され、懲役1年2月、執行猶予3年の有罪判決を受けたのです。これが、座間での犯行が始まるわずか数ヶ月前のことでした。

社会から「NO」を突きつけられたこの出来事は、彼にとって大きな転機だったはずです。ここで立ち止まり、自分の生き方を見つめ直す道もあったでしょう。しかし、彼はその道を選ばず、故郷の座間に戻り、さらに深い闇へと足を踏み入れてしまいました。この判決が、彼のなかの社会に対する最後のタガを外してしまったのかもしれませんね。

なぜ9人もの命を奪えたのか?専門家が分析する歪んだ心理

ここまでの道のりをたどってきてもなお、私たちの前には大きな問いが残ります。なぜ、彼は9人もの命を奪うことができたのでしょうか。彼の心の奥深くを、専門家の分析や本人の言葉から探ってみましょう。

彼が狙ったのは「本当に死にたい人」ではなかった?

筑波大学の原田教授は、彼を「サイコパスの可能性が極めて高い」と分析しています。その特徴の一つが、共感性の欠如です。彼は獄中で「1人目の被害者には情が移ったが、2人目以降は何も思わなかった」と語っています。

この言葉に、彼の心が壊れてしまった瞬間が見えるような気がします。最初の犯行では、彼の中にもまだ葛藤や人間的な感情が残っていたのかもしれません。しかし、一度その一線を越えてしまったことで、2人目以降は、人の命が単なる「モノ」に見えてしまった…。そう考えると、あまりに悲しく、恐ろしい心の変化ですね。

獄中手記で語られた「楽して生きたい」という本音

彼の言葉は、最後まで自己中心的で、どこか現実感がありませんでした。裁判や死刑に対する気持ちを問われても、彼はこう答えています。

「痛いのはイヤだなって感じです」「(刑務所から出たら)獄中結婚したい」

9人の命を奪ったという現実の重みとはかけ離れた、まるで他人事のような言葉たち。他者の痛みや悲しみに思いを馳せることが、彼には最後までできなかったように見えます。彼の心は、まるで幼い子どものまま、成長を止めてしまったかのようです。

人は生まれながらにして、モンスターなのではありません。白石死刑囚の人生にも、きっと、いくつもの違う道へ進む分岐点があったはずです。もし、揺れ動いていた学生時代に、誰かが彼の心のSOSに気づけていたら。もし、社会の片隅で孤立したときに、手を差し伸べる誰かがいたら。もちろん、それは結果論に過ぎません。それでも、彼の心の闇の成り立ちに思いを馳せることは、同じような悲劇を二度と繰り返さないために、私たちに残された大切な宿題なのかもしれませんね。

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