なぜ?くら寿司事件でまた…若者の承認欲求とSNSの闇

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出来事
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「えっ、また…?」って、思わず声が出ちゃいませんでしたか? 回転寿司チェーン「くら寿司」での迷惑行為がSNSで拡散され、大きな波紋を呼んでいます。以前にも似たような事件があったのに、なぜ繰り返されてしまうんでしょうか…。

この記事では、今回のくら寿司での出来事を振り返りながら、その背景にあるとされる若者の「承認欲求」や「SNSの影響」について、心理学的な視点も交えながら、一緒に考えていきたいと思います。

この記事を読めば、なぜ若者が時に危うい行動に走ってしまうのか、その心の動きや、私たち大人ができることへのヒントが見つかるかもしれません。

また起きた…くら寿司での迷惑行為、何があったの?

人気回転寿司チェーンで起きた、ちょっと信じられないような出来事。まずは、何が起こって、どうしてこんなに話題になっているのか、落ち着いて見ていきましょう。

Xで拡散された「ピンクのゴム」事件の概要

事の発端は、X(旧Twitter)に投稿された一枚の画像でした。そこには、くら寿司の店舗で、お皿を返却する投入口に、なんとピンク色の破れたゴム製品…おそらく避妊具が置かれている様子が写っていました。

「誰ですかここでヤったのは」というような、ふざけたコメントと共に投稿されたこの画像は、あっという間に拡散。「これはひどい」「衛生的にありえない」と、多くの人を驚かせ、不快な気持ちにさせました。

「善悪わからんくなる」投稿者の言葉にザワつく声

さらに注目を集めたのは、この迷惑行為に関わったとされる人物の「現場にいた」という証言と、その後の反省(?)の言葉でした。

「ネットニュースとか見てたら何でこげなアホなことするんやろー思うのに、実際その場にいると善悪分からんくなる」「自分も醤油ぺろぺろとかおでんツンツンみて何がおもろいん思ってたのにまじ情けない」…。

この言葉に、「反省しているならまだ…」という声がある一方で、「いやいや、そういう問題じゃないでしょ」「全く反省が感じられない」と、さらに多くの批判が集まることになったんです。あなたはこの言葉、どう感じますか…?

なぜ?若者は迷惑行為をネットにあげちゃうの?「バカッター」心理を読み解く

本当に、「なんでそんなことしちゃうんだろう?」って思いますよね。でも、もしかしたら、そこには若者特有の心理が隠れているのかもしれません。ちょっとだけ、その心の中を覗いてみましょうか。

仲間内の「いいね!」が全て?内輪ノリの危うさ

若い頃って特に、友達との関係やグループの中での立ち位置がすごく重要だったりしますよね。その場の「ノリ」や「ウケ」を狙って、つい大胆な行動に出てしまう…。

「面白いじゃん!やっちゃえよ!」なんて言われたら、断りにくい空気って、誰しも少しは経験があるかもしれません。でも、その内輪だけの「面白い」が、一歩外に出れば大問題になる。

その境界線を見失ってしまう危うさが、こうした行動に繋がっている可能性はありそうです。

その場の勢い?「善悪が分からなくなる」瞬間の心理とは

投稿者も言っていた「善悪分からんくなる」という感覚。これは、集団心理が働くことで、一時的に個人の判断力や倫理観が低下してしまう状態なのかもしれません。

たとえば、お祭りやライブ会場で、周りの熱気に影響されて、普段ならしないような大声を出したり、羽目を外したりすることってありますよね。

それと似ていて、仲間との悪ふざけがエスカレートする中で、冷静な判断ができなくなってしまう。「これはマズい」というブレーキが効かなくなっちゃうんでしょうか…。

【共感?】「自分もやってたかも…」若者世代の本音は

今回の件に関して、SNSなどでは「いや、自分たちの若い頃はもっと酷かった」とか「気持ちは少しわかる」といった声も、実はゼロではありませんでした。

もちろん、今回の行為を肯定するわけでは決してないけれど、「若気の至り」みたいな言葉があるように、若い頃の無鉄砲さや過ちへのある種の共感…みたいなものも、一部には存在するのかもしれません。

でも、昔と大きく違うのは、その行動が瞬時に世界中に拡散されてしまう「SNS」の存在なんですよね。

背景にあるのは「承認欲求」?SNSがもたらす光と闇

最近よく聞く「承認欲求」という言葉。これが、SNS時代特有の問題とどう結びついているのか、少し考えてみましょう。

数字で評価される?「いいね」に縛られる心理

「誰かに認められたい」「褒められたい」…こうした承認欲求は、私たち人間が持っている自然な感情です。でも、SNSの世界では、「いいね」の数やフォロワー数が、まるでその人の価値そのものであるかのように見えてしまうことがありますよね。

「もっと『いいね』が欲しい」「もっと注目されたい」という気持ちが強くなりすぎると、そのために手段を選ばなくなってしまう…そんな危うさをはらんでいるのかもしれません。

「バズりたい」気持ちが招く危険な行動

SNSで多くの人の注目を集める「バズる」という現象。これを体験したい、有名になりたい、という気持ちから、過激な動画や人目を引く投稿をしてしまうケースがあります。

今回の迷惑行為も、もしかしたら「バズりたい」という気持ちが根底にあったのかもしれません。でも、その一瞬の注目と引き換えに失うものがあまりにも大きいことに、気づけていないのかもしれないですね…。

現実とネットの境界線があいまいになる感覚

SNS上でキャラクターを演じたり、加工した自分を見せたりすることに慣れてくると、だんだんネットの世界と現実の世界の区別がつきにくくなってしまうことがあります。

ネットで許される(ように見える)ことが、現実でも許されると勘違いしてしまったり、ネット上の軽いノリを、そのまま現実の行動に移してしまったり…。その感覚のズレが、思わぬトラブルを引き起こす原因になることも考えられます。

【親世代も必見】過去の炎上事件から学ぶべきこと

今回のくら寿司の件だけでなく、これまでにも似たような「炎上事件」は何度も起きてきました。そこから私たちが学べることは、たくさんありそうです。

スシロー事件のその後…軽い気持ちの代償は大きい

記憶に新しいのは、同じく回転寿司チェーン「スシロー」での迷惑動画事件ですよね。醤油ボトルを舐めたり、未使用の湯呑みを舐め回したりする動画が拡散され、大きな社会問題になりました。

この事件では、動画を投稿した少年に対して、スシロー側が約6700万円もの損害賠償を求めて提訴しました(後に調停が成立し、訴えは取り下げられましたが)。

また、コンビニでおでんを指でつついた「おでんツンツン男」の事件では、逮捕に至っています。本当に軽い気持ちだったのかもしれませんが、その代償は想像以上に大きいんです。

「デジタルタトゥー」は一生消えない?拡散のリスク

インターネット上に一度公開された情報や画像は、完全に削除するのが非常に難しいと言われています。

まるで、消すことのできない「入れ墨(タトゥー)」のように、半永久的に残り続けてしまうことから、「デジタルタトゥー」と呼ばれています。

たとえ後で反省して投稿を削除しても、誰かが保存していたり、転載されていたり…。その情報が、将来の就職や人間関係にまで影響を及ぼす可能性だってあるんです。本当に怖いことですよね。

ネットニュースやコメント欄から見える社会の反応(怒り・呆れ)

今回の事件に対するネット上のコメントを見ると、「許せない」「厳罰にすべき」といった怒りの声や、「またか…」「学習しないな」といった呆れた声が大多数を占めています。

もちろん、中には擁護する意見や、社会のあり方を問う声もありますが、全体としては、こうした行為に対して非常に厳しい目が向けられていることがわかります。

これは、多くの人が、他人事ではなく、自分たちの生活や安全に関わる問題だと捉えているからなのかもしれませんね。

繰り返さないために私たちができること

こうした悲しい事件を繰り返さないために、私たち一人ひとり、そして社会全体として、何ができるのでしょうか。

若者自身が気をつけるべきこと(ネットリテラシー)

まずは、SNSを使う若者自身が、そのリスクをしっかり理解することが大切ですよね。

「ネットリテラシー」なんて言うと難しく聞こえるかもしれませんが、要は、「投稿する前に一呼吸置く」「これは本当にネットにあげて大丈夫かな?と考える」「情報の真偽を確かめる癖をつける」といった、基本的な心がけのことです。

感情に任せて行動する前に、ちょっと立ち止まる勇気を持つことが、自分自身を守ることにも繋がります。

家庭や社会が見守る視点の重要性

そして、私たち大人や社会全体ができることもあります。

頭ごなしに「ダメだ!」と叱るだけではなくて、なぜそういう行動が問題なのか、どんな影響があるのかを、根気強く、分かりやすく伝えていくことが大切だと思います。

特に家庭では、日頃からSNSの使い方について話し合ったり、困ったことがあったら相談できるような関係性を築いておくことが、何よりの予防策になるのかもしれませんね。

社会全体としても、ネットリテラシー教育の充実や、相談窓口の整備など、若者をサポートする体制づくりが求められていると言えそうです。

まとめ:承認欲求との向き合い方とSNS時代の歩き方

今回のくら寿司での迷惑行為は、私たちに改めて多くのことを考えさせてくれました。誰もが持つ「承認欲求」とどう向き合っていくか、そして、便利な反面、様々なリスクも伴うSNSとどう付き合っていくか。

完全にSNSを断ち切るというのは現実的ではないかもしれません。だからこそ、その特性や危険性を理解した上で、上手に活用していく知恵が必要ですよね。そして、もし誰かが過ちを犯してしまったとしても、一方的に非難するだけでなく、なぜそうなってしまったのか、背景にあるものにも目を向け、社会全体で考えていく姿勢が大切なのかもしれません。

あなたはこの問題、どう考えますか?


📌 水野 恵理|心理学専攻 / フリーライター 大学で心理学を学び、現在はフリーライターとして活動中。人々の心の動きや、社会現象の裏にある心理に興味を持ち、分かりやすく解説する記事を心がけています。

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