【半世紀の逃亡劇】50年ぶり確保!重要指名手配犯・桐島聡は何をした?なぜ時効なし?

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50年にわたる謎に包まれた逃亡生活の末、ついに見つかった重要指名手配犯の桐島聡。

彼はなぜこれほど長い間、警察の手を逃れ続けることができたのか?東アジア反日武装戦線に所属し、指名手配されていた彼の衝撃的な過去と、現在に至るまでの未解決の謎に迫ります。

桐島聡の告白から明らかになる、過去と現在を結ぶ衝撃の真実とは何か。本記事で深く掘り下げていきます。

「50年間の逃亡」逮捕された桐島聡の謎多き半生

50年近く指名手配されていた桐島聡が、末期がんで倒れ入院中に自ら身元を明かしました。彼は1975年の連続企業爆破事件に関与した過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、長年の逃亡生活を送っていました。警察は彼の身元をDNA鑑定で確認し、捜査を進めています。

末期がんで倒れ偽名で入院!突然の自白で発覚

2024年1月25日、神奈川県・鎌倉市にある病院で、一人の男性が「桐島聡です」と自ら名乗り出ました。この男性は、1975年に爆発物取締罰則違反で指名手配されていた桐島聡の可能性が高いとされています。50年近く逃亡生活を続けていた彼は、末期がんに倒れ、今年に入ってから偽名を使って入院していました。25日までに、自ら実名を語りたいと話し、桐島聡であると名乗ったのです。

この発覚により、警察は男性が桐島容疑者である可能性が高いと見て、DNA型の鑑定を進めています。警視庁は、男性が桐島容疑者だと特定できたとしても、病状などから逮捕せずに任意で捜査を進める方針です。桐島容疑者が現在、路上で倒れて入院した後、容体が悪化して現在は危篤状態にあることが報告されています。

この事件は、長年逃亡を続けていた指名手配犯が、末期がんという重い病状の中、自らの正体を明かすという、異例の展開を見せています。警察は今後、桐島容疑者の身元確認と、彼の逃亡にまつわる謎を解明するための捜査を続けることになります。

桐島聡とは誰?なにして指名手配された?

桐島聡は、1954年1月9日生まれの日本のアナーキズム系新左翼過激派で、1975年に爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されました。彼は広島県深安郡神辺町(現・福山市)出身で、広島県立尾道北高等学校を卒業後、明治学院大学法学部に進学しました。その後、東アジア反日武装戦線に参加し、「さそり」班として連続企業爆破事件などのテロ事件に関与しました。

桐島聡の特徴としては、身長約160cm、強度の近視、細い足、広島弁、ニキビの跡がある顔、厚い唇が挙げられます。彼が指名手配された理由は、1975年4月18日に銀座の韓国産業経済研究所に手製の爆弾を仕掛け、翌日に爆発させたことにあります。この爆弾は、「腹腹時計」という雑誌に掲載された情報を元に製造され、薬剤師資格を持つ大道寺あや子が勤務先から薬品を横領して製造に関わりました。

その他にも、桐島聡は複数の爆破事件に関与しており、1975年5月19日には東アジア反日武装戦線の主要メンバー7人が逮捕された際に逃亡しました。1989年と1990年には警察庁が桐島を公開手配し、警視庁は桐島を含む10名を掲載した手配チラシを1987年だけで700万枚印刷し全国に配布しました。桐島は逮捕されたことがなく、東アジア反日武装戦線の中で唯一前科がないメンバーでした。

桐島聡の逮捕と自白は、日本の過激派運動の歴史において重要な瞬間となり、彼の過去の行動とその動機に新たな光が当てられることになるでしょう。

桐島聡関連ニュースの最新情報まとめ!

記事を1月27日に書いてから、1月30日になると当初より報道が増えていろいろなことが明らかになりました。そこで、ここで時系列に何が起きたのがまとめていきます。

  • 1975年4月18日:東京の銀座にある韓国産業経済研究所の入り口に爆弾を仕掛けて爆発させる
  • 1975年5月19日:爆発物取締罰則違反で指名手配される。仲間の東アジア反日武装戦線が一斉検挙された際に存在が明らかになったため。
  • 1975年5月20日:この日に渋谷区の銀行で現金を下ろしたことが判明する
  • 1975年5月31日:実家に桐島聡から電話があり「岡山に女と一緒にいる」など伝え、足取りが不明に。
  • 1980年代:内田洋と名乗る男性が神奈川県藤沢市の工務店で住み込みで働き始める
  • 2023年辺り:内田洋という男性が胃がんが原因で病院に通う
  • 2024年1月25日:内田洋と名乗る男性が倒れ入院。病院で本当は「桐島聡」だと名乗り、警察が捜査する
  • 2024年1月25~28日:警察の聴取により桐島聡しか知りえない情報を知っており可能性が高いと判断され、DNA鑑定を進める。他にも「海外に居た。死ぬときぐらいは日本で」という趣旨の発言が発表。しかし、後になって海外渡航の形跡がなく、内田洋と名乗り神奈川県の工務店で長年働いていたことなどが報道される
  • 2024年1月29日:朝に桐島聡だと名乗る容疑者が死去

こうして時系列でみると、1980年代から神奈川県の工務店で長期間働いていたようです。指名手配犯された直後は女性といると実家に連絡しているので、このころは仲間からサポートがあったのでしょう。その後に何らかの理由でサポートが得られなくなり、内田洋という偽名で工務店で住み込みで働いたようです。

当初の報道で海外に居たと話しているとありましたが、これは恐らく次の2つのどちらかではないでしょうか?

  1. 工務店で働く前は海外に居た
  2. お世話になった工務店に迷惑が掛からないように噓を伝えた

残念ながら1月29日の朝に亡くなってしまったので、今後真相の解明は難しくなるでしょう。

最重要指名手配犯とは何?他に誰がいるのか

警察庁が指定する重要指名手配被疑者は、凶悪事件などの被疑者のうち、殺人(未遂を含む)、強盗致傷、爆発物取締罰則違反の罪に問われている14名です。これらの犯罪は社会に対する重大な脅威をもたらすものであり、警察庁はこれらの被疑者の捕捉に特に力を入れています。

桐島聡の逮捕により、このリストの人数は13人に減少しました。警察庁は、これらの重要指名手配被疑者に関する捜査特別報奨金を最大300万円まで支払っています。また、一部の指名手配犯には私的懸賞金も支払われる場合があります。

指名手配されている他の被疑者には、小暮洋史(54歳)、小原勝幸(43歳)、上地恵栄(67歳)、見立真一(44歳)、八田與一(27歳)、リンショウイ(50歳)、吉屋強(46歳)、リカイ(59歳)、越智清(71歳)、宮内雄大(48歳)、菱川龍己(47歳)、又吉建男(74歳)、金成行(55歳)などが含まれています。これらの被疑者も殺人や強盗殺人などの重大犯罪に関与しており、警察は彼らの捕捉に向けて積極的な捜査を進めています。

指名手配被疑者に関する情報は、最寄りの警察署や交番、ホームページに掲載の連絡先へ通報することができます。また、指名手配被疑者に似ている人物を見かけた場合は、迷わず110番通報することが推奨されています。

このように、重要指名手配犯のリストには、社会にとって危険な存在とされる人物が含まれており、その捕捉は公共の安全を保つために重要な役割を果たしています。

桐島聡の現在は?年齢や容態は?

桐島聡、現在70歳となるこの男性は、今年に入って神奈川県内の大きな病院に入院し、末期がんと診断されています。彼は当初、偽名を使って病院に入院していましたが、その後、病状が悪化する中で自らの真実の身元を明かしました。彼は末期の胃がんを患っており、以前から通院していたものの、最近になって路上で倒れ、入院した後、病状が急速に悪化して現在は危篤状態にあります。

警察は桐島聡とされるこの男性のDNA鑑定を行い、本人かどうかの確認を急いでいます。しかし、彼の健康状態を考慮すると、たとえ本人と確認された場合でも、逮捕や勾留に耐えうる体力があるかどうかは非常に不透明です。そのため、警察は慎重な姿勢を示し、状況に応じて適切な対応を取る方針です。

桐島聡の逮捕という結末は、彼の病状によって大きく左右される可能性があり、今後の展開に注目が集まっています。彼の半世紀に及ぶ逃亡生活が、末期がんという病とともに終わりを迎えようとしているのです。

なぜ時効にならない?50年も指名手配された理由は

桐島聡容疑者に対する時効が停止していた主な理由は、彼の共犯者である大道寺あや子容疑者が国外逃亡していたことにあります。刑事訴訟法では、「共犯者の公判中は時効が停止する」という規定が設けられており、大道寺あや子容疑者の公判が進行中である間、桐島容疑者に対する時効は停止状態になっていました。

大道寺あや子容疑者は、1977年の「ダッカ事件」に関連して超法規的措置で釈放された後、国外に逃亡しました。この逃亡により、彼女の公判は停止され、それに伴い桐島容疑者に関する時効も停止されたのです。

このような状況から、桐島聡容疑者に対する時効は、50年が経過した現在でも成立していない状態となります。これは、時効に関する一般的な認識とは異なる特殊なケースであり、法の適用において重要な例となっています。桐島聡容疑者は今でもその事件に関連して法的な責任を問われる可能性があるということです。

桐島聡が所属した東アジア反日武装戦線とは?

東アジア反日武装戦線は、1970年代に活動した日本のアナーキズム系の武闘派極左テロ集団で、桐島聡もその一員でした。この組織は、法政大学のLクラス闘争委員会が源流とされ、その後、「研究会」というグループを経て、日本のアジアでの悪行を集中的に学習し、過激な反日思想を増幅させる形で東アジア反日武装戦線へと発展しました。

東アジア反日武装戦線の創設者は、大道寺将司で、彼は法政大学文学部史学科に在籍していました。桐島聡は、この組織において「さそり」班の一員として活動し、三菱重工爆破事件を含む複数の連続企業爆破事件に関与しました。これらの事件は、社会に大きな影響を与え、日本の治安に対する脅威となりました。

東アジア反日武装戦線は、その他にも「狼」や「大地の牙」といったグループを内包しており、それぞれが独自の思想や目的を持って活動していました。組織は、昭和天皇に対する暗殺計画「虹作戦」など、さまざまな過激な行動を企画・実行していました。

桐島聡の逮捕は、このような過激な武装集団の歴史に新たな1ページを加え、過去の未解決事件への理解を深める可能性を持っています。

50年間逃げ切れた理由は?海外で過ごしていた?

桐島聡が50年以上も逃亡生活を続けることができた背景には、彼を支援する人々の存在が推測されます。一人で長期間にわたる逃亡生活を送ることは非常に難しく、特に過激派グループのメンバーとして指名手配されている状況では、何らかの外部からの支援があったと考えられます。ただし、具体的な支援者に関する情報は明らかになっておらず、彼らが桐島聡の正体を知っていたかどうかも不明です。

最新の報道によると、捜査関係者への取材で、桐島聡が逃亡生活の一部を海外で過ごしていたことが新たに明らかになりました。この初期の報道を受けてです29日のニュースで海外への渡航は確認されずという報道がありました。)彼は「最後は日本が良かった」という趣旨の話をしていることが分かっており、警察は彼が海外に潜伏していた可能性もあると見て、慎重に調査を進めています。

桐島聡が所属していた東アジア反日武装戦線の他のメンバーは一斉に検挙されており、彼だけが長年にわたって逃亡を続けることができました。例えば、日本赤軍の重信房子さんは2000年に逮捕され、2022年に刑期満了で出所しています。重信房子さんは、1997年から2000年にかけて、他人になりすまして日本国旅券を取得し、計16回にわたって中国などに出入国を繰り返していたことが知られています。

このように、桐島聡の逃亡生活は、単独での行動とは考えにくく、彼を支援していた人々の存在や一時期の海外潜伏が大きな鍵を握っていると考えられます。彼の逮捕により、これらの謎も解明に向けて動き出す可能性があります。

※1月29日10時追記:最新の報道で、「内田洋」という偽名で神奈川県藤沢市の土木会社に住み込みで約40年働いたことが明らかになりました。会社側は桐島聡だとは把握せず。また、海外へ渡航した形跡は確認されずとのことです。8時ごろに容疑者を名乗る男性が死亡とのニュースがありました。

重要指名手配犯の報奨金は誰がもらう?

桐島聡が50年以上にわたって指名手配されていた件に関連して、警察庁は重要指名手配犯に対する情報提供に最大300万円の報奨金を設定しています。しかし、今回のケースでは、桐島聡自身が自らの身元を明かしたため、報奨金の支払いについては疑問が残ります。

警察庁のホームページによると、「件の解決に結びつく情報を提供した方に対して、その寄与に応じて、捜査特別報奨金の上限300万円の範囲内で支払われる」とあります。しかし、桐島聡が病院で自らを名乗り出たことで身元が判明したため、このケースでは、通常の報奨金支払いの対象となるかは不透明です。

通常、報奨金は警察への有益な情報提供が行われた場合に支払われますが、今回のケースでは、桐島聡が自発的に身元を明かしたため、報奨金の支払いが行われるかどうかは警察の判断に委ねられることになりそうです。

この事例は、報奨金制度の適用範囲とその限界を示す興味深いケースとして、今後の議論の対象となるかもしれません。

桐島聡と検索すると芸能人も一緒に出るのはなぜ?

2024年現在、インターネット上で「桐島聡」と検索すると、不思議な現象が起きています。桐島聡の情報と一緒に、なぜか複数の芸能人の名前も出現するのです。この現象の背景には、SNS上で広まったある話題が関係しています。

桐島聡の若い頃の写真が、ある芸能人に似ているという指摘がSNSで話題になりました。これが原因で、インターネット上の検索結果に桐島聡と関連のない芸能人の名前が一緒に表示されるようになったのです。重要なのは、この現象は桐島聡の事件や逃亡生活とは直接関係がないことです。あくまで外見の類似が話題となっただけであり、事件そのものとは無関係です。

今回のケースは、インターネットとSNSの影響力が如何に大きいかを示しています。一つの話題が拡散され、検索結果に影響を与える事例として、デジタルメディアの影響力とその責任について考えさせられます。また、情報の正確性と検証の重要性を再認識する機会とも言えるでしょう。

まとめ:半世紀の逃亡劇が示すもの

桐島聡の逮捕という出来事は、日本の近現代史における重要な事件の一つとして記憶されるでしょう。彼の半世紀に及ぶ逃亡生活は、終末を迎え、多くの未解決の謎が残されています。彼の身元が判明したことで、過去のテロ事件や過激派運動の歴史が再び注目されることになりました。

桐島聡のケースは、逃亡期間の長さ、指名手配の時効停止、そして彼が自ら身元を明かしたという異例の事態を通じて、法執行の複雑さと犯罪捜査の困難さを浮き彫りにしています。また、インターネットとSNSの影響力、情報の拡散とその正確性の問題も浮上しました。

桐島聡が逮捕された今、彼の逃亡生活に関するさらなる情報が明らかになることを期待する声が高まっています。彼の逃亡生活の支援者の存在、海外での潜伏、そして最後に日本へ戻ってきた理由など、多くの謎が解明されることで、日本の過激派運動の歴史に新たな光が当てられることでしょう。

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