桂田精一の経歴と妻を解説!知床遊覧船事故の社長は元陶芸家から観光業へ

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2022年に知床で観光船の沈没事故を起こし、2024年9月18日に逮捕された桂田精一社長。

元陶芸家から観光業に転身し、様々な事業を手がけた経歴を持つ人物です。その経歴と、妻について詳しく見ていきましょう。

桂田精一とは? 生まれから学歴まで

桂田精一社長の基本的なプロフィールから見ていきます。

北海道斜里町出身の地元名士の息子

桂田精一氏は1963年6月29日、北海道斜里郡斜里町に生まれました。父親の桂田鉄三氏は地元の有力者で、斜里町議会議員を務めていました。

桂田家は代々、この地域で「桂田商店」という食品、米、雑貨、ガスまで扱う一大コンツェルンを経営しており、「ウトロといえば桂田」と言われるほどの名士一家でした。このような環境で育った桂田精一氏は、幼少期から地域の注目を集める存在だったと言えるでしょう。

網走南ヶ丘高校から陶芸の道へ

地元の小中学校を経て、桂田精一氏は父親と同じ北海道網走南ヶ丘高校に進学しました。高校時代の桂田氏は、同級生の証言によると「教室でよく寝る生徒」で、積極的に目立つタイプではなかったそうです。しかし、服装は少し不良っぽかったとも言われており、裕福な家庭の子息らしからぬ一面も持っていたようです。

高校卒業後、桂田氏は意外な進路を選択します。父親の事業を継ぐのではなく、茨城県工業技術センター窯業指導所(現・笠間陶芸大学校)で陶芸を学ぶことにしたのです。この決断は、芸術への情熱を持っていた桂田氏の個性的な一面を表しています。ここで陶芸の基礎を学んだ後、桂田氏は都内に移り住み、大手企業から支援を受けながら芸術活動を続けることになります。

この経歴は、後の桂田氏の人生に大きな影響を与えることになります。芸術家としての感性と、地元の名士の息子という立場が、後年の経営判断にどのように影響したのか、興味深い点と言えるでしょう。

桂田精一社長の会社は? 陶芸家から観光業への転身

陶芸家としてのキャリアを経て、桂田精一氏は実家の事業を継ぐために故郷に戻りました。その後の経歴を追っていきます。

有名百貨店で個展を開く実力派陶芸家

桂田精一氏の陶芸家としてのキャリアは、驚くべき成功を収めました。東京の有名百貨店で個展を開催するほどの実力を持ち、その作品は高い評価を得ていました。大手企業からの支援を受けながら、桂田氏は独自の陶芸スタイルを確立していきました。

彼の作品は、北海道の自然をモチーフにしたものが多く、故郷への思いを込めた繊細な表現が特徴だったと言われています。また、伝統的な技法と現代的なデザインを融合させた斬新な作品で、美術評論家からも注目を集めていました。この時期の桂田氏は、芸術家として輝かしい未来が約束されているように見えました。

40代で故郷に戻り家業を継ぐ

しかし、40歳を過ぎた頃、桂田精一氏の人生は大きな転換期を迎えます。父親が高齢となり、家業の継承を求められたのです。2005年、41歳で斜里町に戻った桂田氏は、有限会社しれとこ村の取締役に就任します。

この決断は、芸術家としてのキャリアを捨てる覚悟が必要でした。しかし、桂田氏は持ち前の創造性を経営に活かそうとしました。2015年4月には「しれとこ村」の社長に就任し、ホテルチェーンの経営に本格的に乗り出します。

この時期、桂田氏は経営の素人でしたが、コンサルタントの助言を積極的に取り入れ、赤字だった旅館を黒字に転換させるなど、初期には一定の成果を上げていました。

知床遊覧船の買収と多角化経営

2016年、桂田精一氏の経営者としての野心が大きく動き出します。高齢となった前社長から「知床遊覧船」を4000万円で買収したのです。この決断は、観光業への多角化を図る戦略的な動きでした。

桂田氏は、ホテル経営と遊覧船事業を組み合わせることで、知床観光の一大勢力になることを目指しました。彼は「世界自然遺産の宿しれとこ村」、「流氷と温泉の宿 海に桂田」、「ホテル地の涯」など、複数の宿泊施設を展開。さらに、加工品製造会社、土産物販売店、食堂、道の駅、ネットショップなども手がけ、斜里町商工会の理事も務めるなど、地域経済の重要人物となっていきました。

しかし、この急速な事業拡大は、後に安全管理や経営の質の面で問題を引き起こすことになります。特に、海や船舶に関する専門知識が不足していたにもかかわらず、遊覧船事業に参入したことは、後の悲劇につながる要因の一つとなりました。

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桂田精一の妻は? 再婚と家族構成

桂田精一社長の私生活、特に結婚と家族関係について見ていきましょう。

20歳年下の妻とのデキ婚

桂田精一氏は2018年6月、当時20歳ほど年下の女性と再婚しました。結婚当時、桂田精一氏は54歳で、妻は30代前半だったと推測されます。この結婚はデキ婚だったとされています。

具体的な馴れ初めについては、公式に明らかにされておらず、詳細は不明です。地元では、斜里町という小さな町で自然と出会う機会は少ないため、北見市のスナックで出会った可能性があるという噂もありますが、これは確認されていない情報です。

桂田氏が複数の旅館や観光船業をはじめとする多くの事業を手掛け、また父親が町の権力者であることから、20歳以上年下であっても、桂田氏が魅力的な結婚相手に映った可能性は考えられます。

結婚は斜里町の広報誌で公表されており、2018年6月25日に入籍したことが確認されています。その後すぐに第一子を妊娠していたことから、デキ婚であったことは間違いないようです。

このように、桂田精一氏の再婚は地元で話題となりましたが、その出会いや交際期間などの詳細については、現在のところ明確な情報が公開されていません。

2人の子供と新しい家族

現在の妻との間には2人の子供がいます。第一子は2018年12月生まれの長女で、第二子は2022年4月に生まれたばかりでした。

知床遊覧船の事故当日、桂田精一氏が現場にいなかったのは、北見市の病院で出産した妻を迎えに行っていたためだと説明しています。

前妻との離婚理由は「お金にだらしない」?

桂田精一氏は約10年前に前妻と離婚しています。

地元関係者の証言によると、離婚の一因は桂田精一氏が「お金にだらしなかった」ことだと言われています。裕福な家庭に育ったため、金銭感覚が乏しかったのではないかと推測されています。

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知床で起きた事故について

最後に、桂田精一社長が逮捕されるに至った知床遊覧船の事故について、簡単に触れておきましょう。

2022年4月の悲惨な沈没事故

2022年4月23日、桂田精一氏が社長を務める知床遊覧船の「KAZU I(カズワン)」が、北海道・知床半島沖で沈没。

乗客乗員26人が死亡または行方不明となる大惨事となりました。

安全管理体制の問題と社長の責任

事故後の調査で、知床遊覧船の安全管理体制に大きな問題があったことが明らかになりました。

桂田精一社長は運航管理者としての責任を問われ、乗客乗員の安全確保義務を怠ったとして批判を受けました。

2024年9月、業務上過失致死容疑で逮捕

事故から約2年半後の2024年9月18日、桂田精一氏は業務上過失致死と業務上過失往来危険の容疑で逮捕されました。安全確保を怠った結果、26人を死亡させた疑いがかけられています。

桂田精一氏の経歴は、陶芸家から観光業の経営者へと大きく変わり、そして悲惨な事故の責任者として逮捕されるに至りました。芸術家としての才能を持ちながら、経営者としての責任を全うできなかった背景には、どのような要因があったのでしょうか。今後の捜査と裁判の行方が注目されます。

桂田精一氏の逮捕については、別記事の「知床観光船沈没事故で社長が逮捕!なぜ事故発生から2年半も掛かった?」に詳しく書いています。

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