日本を代表する俳優として知られる真田広之さんと手塚理美さん。1990年に結婚し、2人の子供をもうけた2人ですが、1997年に離婚を発表しました。
今回は、2人の馴れ初めから結婚生活、そして離婚に至るまでの経緯を詳しく見ていきましょう。
手塚理美、その魅力的な経歴とプロフィール
手塚理美さんは1961年6月7日、東京都大田区に生まれました。
小学生の頃からジュニアモデルとして活動を始め、中学1年生の時にユニチカの2代目マスコットガールに選ばれたことで本格的に芸能界デビューを果たしました。
アイドル歌手としてシングル2枚、アルバム1枚をリリースした後、1981年にヌード写真集『少女だった』を発表。これを機に女優への転身を図ります。1982年にはNHK朝の連続テレビ小説『ハイカラさん』でヒロインを務め、一躍注目を集めました。
その後、『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどのドラマや映画『ア・ホーマンス』、『茶の味』などで活躍。多彩な演技力で観客を魅了し続けています。
意外な馴れ初め!真田広之との出会いと電撃結婚
真田広之さんと手塚理美さんの馴れ初めは、意外にも俳優の時任三郎さんが仲介役でした。手塚さんは時任さんとドラマ『ふぞろいの林檎たち』で共演し、恋人役を演じていたことから、プライベートでも親しい間柄だったそうです。
そんな時任さんが友人だった真田さんを手塚さんに紹介したことがきっかけで、2人の交際が始まりました。交際期間については詳しく明かされていませんが、1990年に電撃結婚を発表し、世間を驚かせました。
さらに驚きだったのは、2人の結婚披露宴。なんと、キューピット役の時任さん夫妻と合同で開催されたのです。時任さんが「どうせ共通の友人も多いし、一緒にやろう」と提案し、真田さんと手塚さんが快諾したそうです。1991年4月13日、東京渋谷のライブハウスで華やかな合同結婚披露パーティーが開かれました。
2人の子宝に恵まれた幸せな日々
真田さんと手塚さんの間には2人の男の子が生まれました。長男の奨之(しょうの)さんは1991年8月3日生まれ、次男の日南人(ひなと)さんは1995年生まれです。
真田さんは子煩悩な一面も。長男の出産時には分娩室にビデオカメラを持ち込んで撮影し、「帰ったら、出産時に撮ったビデオを3人で鑑賞します」と記者会見で発言して話題になったそうです。
現在、長男の奨之さんは音楽活動を続けており、大学時代には「VOICELAND」というバンドでギターを担当していました。一方、次男の日南人さんは俳優や音楽家として活動中。大学時代にはスペインへの留学経験もあり、現在は北海道に移住して自然と関わる仕事にも携わっているようです。
衝撃の不倫スキャンダルと離婚
幸せな家庭生活を送っていた2人でしたが、1995年に真田さんの不倫が発覚。お相手は、映画『写楽』で共演した女優の葉月里緒奈さんでした。
当時、葉月さんは「好きな人に奥さんがいても構わない」「夫婦がうまくいってたら、男でも女でも、ほかになんか気持ちが行きませんよ」などと発言し、世間を騒がせました。
一方、手塚さんは当初「男の人の浮気って仕方ないなというか。どうしても子どもが出来ると母親は子どもに意識がいってしまいますから」と寛容な姿勢を見せていました。しかし、2年間の別居期間を経て、最終的に1997年に離婚を決意しました。
手塚さんは後年、「私の辞書には離婚という字はなかったので、修復しか考えてなかった。なんとかして戻って来てほしいなって」と当時の心境を語っています。
離婚後の2人の現在
離婚後、真田さんはハリウッド俳優として大きな飛躍を遂げました。『ラストサムライ』『ウルヴァリン:SAMURAI』など、数々の大作に出演し、国際的な評価を得ています。
一方、手塚さんはシングルマザーとして2人の息子を立派に育て上げました。2016年、息子たちの独立を機に本格的に女優業に復帰し、現在も精力的に活動を続けています。
興味深いことに、離婚後も2人の関係は良好なようです。手塚さんは「嫌いで別れたわけじゃないので。恨みつらみもないですし、今は愛から尊敬に変わりましたね」と語っています。さらに「こんなに一緒に会っているなら、ヨリを戻してもっていう思いはありますけど、今はハリウッド俳優として活動している彼を邪魔したくないので」とも発言しており、復縁の可能性を完全には否定していません。
現在も、記念日などには子供たちを交えて食事をする仲の良さを保っているそうです。
真田広之さんと手塚理美さんの馴れ初めから離婚までの物語は、まさに波乱万丈。2人の俳優としての活躍と、家族としての絆は今も続いているようです。今後、息子たちが芸能界デビューする可能性もあり、親子共演の日が来るかもしれません。これからの真田さん、手塚さん、そして2人の息子たちの活躍にも注目していきましょう。