大阪万博の『ぬいぐるみベンチ』の写真を見て、なんだか胸が苦しくなったり、ザワザワしたりしませんでしたか?「かわいそう」「ひどい」…そう感じたのは、あなただけではありません。私も、あの写真を見たとき、言葉にならないような、ぎゅっと胸をつかまれるような感覚がありました。
でも、どうして私たちはあんなに心が揺さぶられるのでしょう? そのモヤモヤ、実は日本に昔からあるある感覚や、モノへの深い愛着と繋がっているのかもしれません。
この記事では、心理学的な視点や日本の文化的な背景も交えながら、その「なぜ?」を一緒に、ゆっくりと解き明かしていきたいと思います。読み終わる頃には、きっとあなたのその感情の理由が分かり、心が少し軽くなるはずです。
まず見てほしい…心を揺さぶる「ぬいぐるみベンチ」問題って?
まずは、今回話題になっている「ぬいぐるみベンチ」について、改めてどんなものだったか、そしてどんな声が上がったのかを見ていきましょう。
どんな展示だった?「悪趣味」「息苦しそう」と批判された点
大阪・関西万博の企業パビリオン「遊んでい館?」に展示されたこのベンチ。手がけたのは、アミューズメント事業などを運営する株式会社ワイドレジャーさんです。
説明によると、これは「アップサイクルベンチ」といって、「遊ばれなくなったぬいぐるみに新たな役割を与える」ことを目的とした家具だったそうなんです。透明なケースの中に、たくさんのぬいぐるみが、まるで圧縮袋に入っているかのように、ぎゅうぎゅうに詰められていました。
確かに、見た目にはちょっと、いえ、かなり衝撃的でしたよね…。顔が見えないように後ろ向きに詰められていた子も多かったようですが、それでも「息苦しそう」「見ていて辛い」と感じた方も多かったのではないでしょうか。
SNSで共感の嵐!「かわいそう」「座れるわけない」…集まった悲痛な声
このベンチの写真がX(旧Twitter)などで広がると、あっという間にたくさんの声が集まりました。
こういった、ぬいぐるみを「かわいそう」と感じたり、「悪趣味だ」と感じたりする声が、本当にたくさん見られました。共感の声が1万件以上集まったコメントもあったほどです。この反応の大きさからも、多くの人がこのベンチに対して強い感情を抱いたことが分かりますよね。
ポケモンも…任天堂は「許諾してない」とコメント
さらに問題を大きくしたのが、ベンチの中に、みんなが知っているキャラクターのぬいぐるみ、特に『ポケットモンスター』の「デデンネ」や「ハクリュー」などが確認できたことでした。
ポケモンといえば、今回の万博のスペシャルサポーターでもあるんです。それなのに、こんな形で展示されていることに対して、「権利的に大丈夫なの?」「任天堂に失礼では?」といった疑問や批判の声も上がりました。
実際に、ニュースサイトが任天堂に取材したところ、「万博での展示については当社が許諾したものではなく、コメントは差し控えさせていただきたく存じます」という回答だったそうです。この「許諾していない」という事実は、さらに波紋を広げることになりました。
結局、ワイドレジャーさんは「配慮が行き届かなかった点を深く反省」として、このベンチを撤去することを発表しました。
なぜ私たちはこんなに「かわいそう」と感じるの?その感情の正体
さて、ここからが本題です。なぜ、私たちはあのベンチを見て、あれほどまでに「かわいそう」「ひどい」と感じてしまったのでしょうか? その背景には、私たち日本人の中に深く根付いている感覚や、ぬいぐるみへの特別な想いがあるのかもしれません。
日本人ならピンとくる?モノにも心が宿る感覚【詳細解説:アニミズムと付喪神】
昔から日本には、「どんなモノにも魂が宿る」と考える文化がありますよね。これを専門的な言葉で「アニミズム」と言ったりします。山や川、木や石ころにまで神様がいる(八百万の神)、という考え方も、このアニミズムと繋がっています。
そして、「付喪神(つくもがみ)」という言葉を聞いたことはありますか? これは、長い年月大切に使われた道具、たとえば茶碗やお鍋、傘なんかに魂が宿って、妖怪になったり神様になったりするという考え方です。昔話にもよく出てきますよね。
これは、「モノを大切に使いなさい」という教えでもありますが、同時に、モノに対してまるで生き物のように感情を寄せ、敬意を払う、日本人独特の感覚を表していると思うんです。だから、たとえ「物」であっても、粗末に扱われているのを見ると、心が痛むのかもしれませんね。
我が子の宝物と同じ…ぬいぐるみは”家族”であり”友達”
特に、ぬいぐるみとなると、その感覚はもっと強くなる気がしませんか?
あなたのお子さんも、お気に入りのぬいぐるみをいつも抱っこして寝ていたり、話しかけたりしていませんか? 私の娘も、小さい頃からずっと一緒にいるクマのぬいぐるみがいて、旅行にも必ず連れて行くし、悲しいことがあると、そのクマちゃんに話を聞いてもらっているみたいです。
子供にとって、ぬいぐるみは単なるおもちゃじゃないんですよね。心理学では、ぬいぐるみが子供の「愛着対象」や「移行対象」になると言われています。つまり、ママやパパの代わりのように安心感を与えてくれたり、一人で何かを乗り越える時の心の支えになったりする、とっても大切な存在なんです。
そんな風に、子供たちがまるで家族や友達のように大切にしている姿を見ている私たち親にとっても、ぬいぐるみは特別な存在。だから、あのベンチの光景は、まるで大切な誰かがぞんざいに扱われているように見えて、余計に辛く感じてしまったのかもしれません。
キャラクターだから余計にツラい?「推し」への愛と裏切り感【独自考察】
さらに、今回問題になったのが、中にいたのが「ポケモン」などの人気キャラクターだったこと。これも、私たちの感情を大きく揺さぶった原因の一つだと、私は思います。
キャラクターって、単なる絵やデザインじゃないですよね。アニメやゲームを通して、そのキャラクターの性格や物語を知り、私たちは感情移入します。特に、自分の好きなキャラクター、「推し」がいる人にとっては、その存在は本当に大きいものです。
そんな大好きなキャラクターたちが、まるでゴミのように、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている姿…。それはファンにとって、自分の大切な存在が傷つけられたように感じて、強い悲しみや、もしかしたら「裏切られた」ような怒りすら覚えるのではないでしょうか。作り手側に、キャラクターやファンへの敬意が欠けていると感じてしまった人も多かったはずです。
「お焚き上げ」はなぜ?人形供養にみる日本人の”別れ”の作法
使わなくなったモノ、特に人形やぬいぐるみを、どうやって手放すか。これにも、日本人の特別な感覚が現れている気がします。
「ゴミとして捨てるのは、なんだか気が引ける…」そう感じたことはありませんか? だからこそ、日本では昔から「人形供養」という文化がありますよね。お寺や神社で、お経をあげてもらったり、お焚き上げをしてもらったりして、感謝の気持ちを込めて、人形たちとお別れする。
リサーチしてみると、今でも多くの方が人形供養を利用しているそうです。そこには、「今までありがとう」という感謝の気持ちや、「粗末にしたくない」という想いが込められています。費用がかかっても、そうやって丁寧に別れを告げることで、心が安らぐんですね。
この人形供養の文化を知っていると、あのぬいぐるみベンチの扱いは、あまりにも対極的というか…モノへの感謝や敬意といった、私たちが大切にしてきたはずの心を踏みにじられたように感じてしまうのも、無理はないのかもしれません。
これって「アップサイクル」なの?言葉だけのエコにモヤモヤ
今回のベンチは、「アップサイクル」という、最近よく聞く言葉を掲げていました。でも、多くの人が「これって本当にアップサイクルなの?」と疑問を感じたようです。私もその一人です。
リサイクルとは違う?「アップサイクル」の本当の意味【比較解説】
まず、「アップサイクル」って、ただの再利用(リサイクル)とはちょっと違うんですよね。
- リサイクル: 使い終わったものを資源に戻して、もう一度同じようなものや別のものを作る。(例:ペットボトルを溶かして新しいペットボトルや繊維にする)
- アップサイクル: 捨てられるはずだったものに、新しいアイデアやデザインを加えて、元のものよりも価値の高いものに生まれ変わらせること。(例:古着をリメイクしてお洒落なバッグにする、廃材で素敵な家具を作る)
ポイントは、「価値を高める」というところ。だから、創造性やデザイン性がとても大切なんです。
国内外には、素敵なアップサイクルの事例がたくさんあります。たとえば、ファッションブランドがリサイクル素材でお洒落な服を作ったり、カフェがお店の内装に再生素材を使ったり、古材を使って味わいのある家具を作ったり…。どれも、元の素材に新しい命を吹き込んで、魅力を増していますよね。
SDGsって言えばOK?作り手の”想像力”が問われるワケ【独自考察】
じゃあ、今回のぬいぐるみベンチはどうだったでしょう?
確かに、「遊ばれなくなったぬいぐるみを再利用する」という点では、エコな試みと言えるのかもしれません。でも、それを「アップサイクル」と呼ぶには、正直、疑問符がついてしまう…。
ぎゅうぎゅう詰めにされた見た目は、多くの人に「価値が高まった」とは思われず、むしろ逆の印象を与えてしまいました。そこには、デザイン的な工夫や、ぬいぐるみが本来持っていた「かわいらしさ」や「愛着」といった価値への配慮が、残念ながら感じられませんでした。
SDGs(持続可能な開発目標)が注目される今、「エコ」や「サステナブル」を掲げることは大切です。でも、言葉だけが先行してしまって、そこに使う人や見る人の気持ちを想像する力、そして何より、モノに対する愛情や敬意が伴っていなければ、今回のように、かえって多くの人を傷つけてしまう結果になりかねません。大切なのは、表面的な「エコっぽさ」ではなく、その背景にある想いや工夫なのかもしれませんね。
もっと愛のある方法はなかったの?寄せられた代替案アイデア
SNSなどでは、「こうすれば良かったのに…」という声もたくさん見られました。
- 「透明な箱型のベンチに、潰さずに可愛く並べるならまだ良かったかも」
- 「キャラクターじゃない、普通のぬいぐるみだけを使うべきだった」
- 「ぬいぐるみを解体して、中の綿だけをクッション材として使うとか…」
たしかに、やり方次第では、もう少し受け入れられ方が違ったかもしれません。これらの声は、単なる批判ではなく、「どうすればぬいぐるみに敬意を払いながら、新しい役割を与えられたか」を考える、建設的な意見ですよね。
海外の人はどう思う?「ぬいぐるみ」への想い、世界と比べてみた
ところで、この「ぬいぐるみがかわいそう」という感覚、もしかして日本人特有のものなのでしょうか? ちょっと気になりますよね。
モノへの考え方は国それぞれ?海外の事例をチラ見
文化が違えば、モノに対する考え方も様々です。たとえば、欧米などでは、日本ほど「モノに魂が宿る」という感覚は一般的ではないかもしれません。中古品や寄付の文化も日本とは少し違う面があるようです。
だから、もしかしたら、海外の方の中には、今回のベンチを見ても「ユニークなアイデアだね」と感じる人もいるかもしれません。(ただ、著作権の問題は別ですが…!)
とはいえ、世界中どこでも、子供がぬいぐるみを大切にする気持ちは共通でしょうし、キャラクターへの愛着を持つファンがいるのも同じですよね。
「かわいそう」は日本特有?でも大切なのは…【独自考察】
「ぬいぐるみがかわいそう」と感じる気持ちが、特に日本人に強い傾向があるのかどうか、はっきりとは分かりません。でも、もしそうだとしても、その感覚は、モノを大切にし、相手の気持ちを想像しようとする、私たちの文化の素敵な一面でもあると思うんです。
大切なのは、「どちらが正しいか」ではなく、多様な感じ方があることを理解し、想像力を働かせることではないでしょうか。今回の件は、たとえ良かれと思ってやったことでも、誰かの大切な気持ちを傷つけてしまう可能性がある、ということを、改めて私たちに教えてくれた気がします。
【まとめ】心がザワついたあなたへ。その「かわいそう」は、優しさの証です
さて、ここまで万博の「ぬいぐるみベンチ」がなぜ多くの人の心を揺さぶったのか、その背景にある私たちの気持ちや文化について、一緒に考えてきました。
あのザワザワの正体、見えましたか?
あなたが感じた「かわいそう」「ひどい」という気持ち。それは、決してあなたがおかしいわけでも、気にしすぎなわけでもありません。
モノにも心を寄せ、命の気配を感じ取る、日本に根付くアニミズムの感覚。 子供の頃から、あるいは我が子を通して育んできた、ぬいぐるみへの特別な愛着。 キャラクターや「推し」への深い想い。 そして、モノへの感謝を込めて、丁寧に関わろうとする心。
そういった、あなたの内側にある優しさや、大切にしている価値観が、あの光景に反応した証拠なんです。
大量消費の今だからこそ…あなたの「モノ」との付き合い方は?
私たちは今、たくさんのモノに囲まれて生きています。簡単に手に入れて、簡単に捨ててしまうことも少なくありません。
でも、今回の出来事は、改めて「モノとどう向き合うか」を考えるきっかけをくれた気がします。一つ一つのモノには、作り手の想いや、使う人の思い出が詰まっているかもしれない。そう考えると、少しだけ、モノへの接し方が変わってくるかもしれませんね。
あなたは、身の回りのモノたちと、これからどんな風に関わっていきたいですか?
📌 水野 恵理|フリーライター 大学で心理学を専攻。人の心の動きや関係性に興味があり、エンタメやライフスタイルの記事を中心に執筆しています。読者の気持ちに寄り添い、心が少し温かくなるような記事を目指しています。