クリストファー・コロンブスの歴史的背景は?現代でなぜ批判されるのか詳しく解説!

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クリストファー・コロンブスは、日本では多くの人々に「新大陸の発見者」の偉人として知られています。しかし、実は近年になって彼への批判が強まっています。この記事では、コロンブスの歴史的背景とその航海の詳細、そして現代における彼の評価について詳しく解説します。

クリストファー・コロンブスとは誰か?その歴史的背景を解説

彼の名前は、歴史的な発見と冒険を象徴していますが、その行動には多くの論争と批判が伴います。以下では、彼の幼少期から航海、そして現代における評価までを詳しく見ていきます。

幼少期から航海に興味を持つ

クリストファー・コロンブスは、1451年8月25日から10月末の間に、ジェノヴァもしくはその近郊で生まれたとされていますが、具体的な生誕地や生年月日については諸説あり、明確な史料による裏付けはありません。

彼の父親であるドメニコ・コロンボは毛織物職人であり、母親のスサナ・フォンタナローサとの間に7人の子供がいました。コロンブスの幼少期の家庭は裕福ではなく、毛織物業のほかにワインやチーズの売買も行っていました。

コロンブスは10代の頃から海と関わりを持ち始めました。最初は父親の仕事を手伝いながら船に乗り、その後、様々な航海に参加しました。1472年には、アンジュー公ルネからの命令でアラゴン王国のガレー船を拿捕するための船に乗ってチュニスに向かったとされています。

1475年から1476年にかけてはジェノヴァのチェントリオーネ家に雇われ、エーゲ海のヒオス島での取引に関与しました。

コロンブスの幼少期から青年期にかけてのこれらの経験は、彼の航海技術と地理に関する知識を深める大きなきっかけとなりました。

コロンブスの4回の航海とその成果を解説!

コロンブスの航海は、世界史における重要な転換点となりました。彼の航海は、新たな土地と資源の発見、そしてヨーロッパとアメリカ大陸の間の恒久的な交流をもたらしました。

以下では、コロンブスの4回の航海それぞれについて詳しく見ていきます。

第1回航海(1492-1493年)

コロンブスの最初の航海は、1492年8月3日にスペインのパロス港から始まりました。

彼はニーナ号、ピンタ号、サンタ・マリア号の三隻の船で大西洋を西へ進み、10月12日にバハマ諸島のサンサルバドル島に到達しました。コロンブスは、これをアジアの一部と信じましたが、実際には新大陸の一部でした。

この航海では、カリブ海の多くの島々を探索し、特にキューバとヒスパニョーラ島に注目しました。

コロンブスは、現地の先住民と初めて接触し、彼らから金やその他の資源を得ようと試みました。1月にスペインに帰還する際、彼はヒスパニョーラ島に数十人の船員を残し、初のヨーロッパ人の植民地を設立しました。

第2回航海(1493-1496年)

コロンブスの2回目の航海は、1493年9月25日にスペインを出発し、17隻の船と約1200人の乗組員を伴いました。

彼は再びカリブ海へ向かい、ドミニカ共和国、プエルトリコ、ジャマイカを含む多くの新しい島々を発見しました。ヒスパニョーラ島に戻ると、彼は前回の航海で設立した植民地が壊滅的な状況にあることを発見しました。

この航海では、ヨーロッパ人と先住民との間の対立が激化し、多くの先住民が奴隷として捕らえられました。また、ヨーロッパからの病気が先住民の人口に壊滅的な影響を与えました​。

第3回航海(1498-1500年)

3回目の航海は1498年5月30日に開始され、コロンブスは南アメリカの北海岸に到達しました。

彼はトリニダード島とオリノコ川デルタを発見し、これが新しい大陸であることを認識しました。しかし、ヒスパニョーラ島での反乱と植民地の混乱に直面し、彼は逮捕され、鎖に繋がれてスペインに送還されました。

この航海は、ヨーロッパ人が南アメリカ大陸の存在を初めて認識するきっかけとなりましたが、コロンブス自身はこの発見を十分に理解していなかったようです​。

第4回航海(1502-1504年)

最後の航海は、1502年5月9日にスペインを出発し、コロンブスは中央アメリカの海岸を探索しました。

彼はパナマの近くに到達し、太平洋への近さを感じましたが、嵐による船の破損や先住民の攻撃により、探索を続けることができませんでした。彼とその乗組員は約1年間現地に取り残されましたが、最終的にスペインに帰還しました。

この航海は、コロンブスの最後の探検となり、彼の健康は急速に悪化しました。帰国後、彼は1506年にスペインで死去しました​。

コロンブスの航海でどのような影響があった?

クリストファー・コロンブスの航海は、世界史における一大転換点となりました。彼の航海は、ヨーロッパとアメリカ大陸の間に新たな接触を生み出し、多くの変革を引き起こしました。

ヨーロッパとアメリカ大陸の接触

コロンブスの航海は、ヨーロッパとアメリカ大陸の間の恒久的な接触を確立しました。

この接触は「コロンブス交換」と呼ばれる現象を引き起こし、両大陸間で人々、動物、植物、そして病気が交換されました。

ヨーロッパからアメリカには小麦や馬が持ち込まれ、アメリカからヨーロッパにはジャガイモやトウモロコシが導入されました​。

先住民社会への影響

コロンブスの到来とその後のヨーロッパ人の進出により、アメリカ先住民の社会は壊滅的な打撃を受けました。

ヨーロッパ人が持ち込んだ病気、特に天然痘やインフルエンザによって、多くの先住民が命を落としました。また、ヨーロッパ人による暴力や強制労働も先住民の人口減少の一因となりました​​。

ヨーロッパへの経済的影響

コロンブスの航海は、ヨーロッパに新たな富をもたらしました。

特にスペインは、新大陸から金や銀を大量に輸入し、その結果、ヨーロッパの経済に大きな変化をもたらしました。

しかし、この富の獲得は先住民の強制労働と密接に結びついており、多くの人々が苦しむこととなりました。

また、ヨーロッパ人の需要に応じてアフリカからの奴隷貿易が拡大し、数百万のアフリカ人がアメリカ大陸に強制移住させられました

文化的影響も大きい

コロンブスの航海は、文化の融合を促進しました。ヨーロッパの技術や文化がアメリカ大陸にもたらされる一方で、アメリカの文化や知識もヨーロッパに影響を与えました。

例えば、スペイン人が持ち込んだ馬は、北アメリカの平原部族に新しい狩猟方法をもたらしました。また、カトリック教会の布教活動により、先住民の宗教や文化が変化し、新しい宗教的実践が生まれました​。

意外と政治的影響も

コロンブスの航海は、ヨーロッパ諸国の新大陸への植民地競争を引き起こしました。

スペイン、ポルトガル、フランス、イギリスなどがアメリカ大陸に領土を獲得しようと競い合い、その結果、先住民の社会構造や政治的均衡が崩壊しました。

また、植民地化に伴い、ヨーロッパの政治体制や法律がアメリカ大陸にもたらされました。

現代におけるコロンブスの評価は?

クリストファー・コロンブスの評価は、現代において非常に複雑で多面的なものとなっています。彼の航海が新世界の発見とヨーロッパとアメリカ大陸の接触をもたらした一方で、その影響は多くの悲劇を含んでおり、これが評価に影響を与えています。

ポジティブな評価

かつては、コロンブスは偉大な探検家として広く称賛されていました。

彼の航海は新たな貿易ルートの開拓とヨーロッパの勢力拡大に寄与し、これがヨーロッパの経済と文化の発展に大きな影響を与えました。

アメリカ合衆国では、コロンブスの名前を冠したコロンバスデーが祝われ、彼の業績を称える日となっています。

ネガティブな評価

一方で、コロンブスの航海が先住民に与えた影響は甚大であり、彼の行動は今日では強く批判されています。

コロンブスと彼の後継者たちは、先住民の土地を奪い、彼らを強制労働や奴隷にすることで、先住民社会に壊滅的な打撃を与えました。

これにより、アメリカの多くの州ではコロンブスデーに代わり、先住民の日が制定されるようになりました。この日は、先住民の歴史と文化を尊重し、彼らの貢献を称える日とされています​。

現代ではコロンブスの再評価が進んでいる

近年では、コロンブスの歴史的な役割について再評価が進んでいます。

多くの学者や活動家は、コロンブスの航海がもたらした影響をより包括的に理解し、評価することを求めています。

例えば、コロンブスの業績を認めつつ、その行動が先住民に与えた負の影響をも認識し、教育や記念行事に反映させる動きが広がっています​​。

コロンブスに対する批判とその理由とは?

クリストファー・コロンブスの評価には、多くの批判が伴っています。彼の航海とその後の行動が、先住民に対して甚大な被害をもたらしたことが主な理由です。以下では、コロンブスに対する具体的な批判点を詳しく解説します。

1. 先住民に対する暴力と奴隷化

コロンブスとその乗組員は、アメリカ大陸に到着した際、多くの先住民を奴隷として扱い、過酷な労働を強いました。

特にヒスパニョーラ島では、タイノ族の人々に対する虐待が甚だしく、多くの人々が強制労働や暴力に苦しみました。

コロンブス自身も、先住民を「良い召使いになるだろう」と記述しており、その価値を労働力として見ていました​。

2. 病気の伝播

ヨーロッパから持ち込まれた病気、特に天然痘やインフルエンザは、先住民に壊滅的な影響を与えました。

これにより、多くの先住民が命を落とし、彼らの社会と文化は大きな打撃を受けました。

この病気の伝播は「コロンブス交換」の一環として知られていますが、その負の側面として大きく批判されています​。

3. 植民地化の象徴

コロンブスの航海は、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化の始まりを象徴しています。

彼の到着以降、ヨーロッパ諸国は新大陸の資源を求めて多くの土地を侵略し、先住民の土地を奪いました。

この過程で、多くの先住民が土地を失い、文化や生活が破壊されました。

4. 現代の視点からの再評価

近年、コロンブスの行動とその影響について再評価が進んでいます。

特にアメリカ合衆国では、多くの都市や州がコロンブスデーに代わり、先住民の日を制定しています。

これは、先住民の歴史と文化を尊重し、彼らの貢献を称えるための動きです。

この再評価は、コロンブスがもたらした被害を認識し、その影響を正確に理解するための重要なステップとされています。

Mrs. GREEN APPLEの新曲「コロンブス」が炎上

2024年6月、ロックバンドMrs. GREEN APPLEの新曲『コロンブス』が公開され、そのミュージックビデオが炎上しました。

このビデオには、コロンブスを賛美するような内容が含まれており、先住民を類人猿に例える描写があったため、多くの批判を浴びました。

これは、コロンブスの行動に対する現代の評価が厳しくなっている背景を反映しており、歴史的な人物を賛美する際の慎重さが求められる現代の風潮を示しています。

まとめ

クリストファー・コロンブスは1451年にジェノヴァで生まれ、スペインの支援を受けて大西洋を横断し「新世界」を発見しました。

彼の航海はヨーロッパとアメリカ大陸の恒久的な接触を確立し、歴史的に重要な転換点となりました。しかし、コロンブスの行動は先住民に対する暴力や奴隷化、病気の伝播など、多くの悲劇をもたらしました。

現代では、彼の行動とその影響が再評価され、コロンブスデーに代わり先住民の日を制定する動きが広がっています。これにより、先住民の歴史と文化を尊重し、コロンブスの負の遺産を認識することが求められています​。

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